【あや】一線を、越える。
一線を、越える。
皆さんは、この言葉
どう捉えますか。
難しいこと?
かなりのエネルギーがいること?
自分には関係のない行為?
私は、この言葉を聞いたとき、
私には関係のないこと。
一生関わることのない、他人事。
だと思っていました。
映画『検察側の罪人』
観てきました。
実は、映画のPRコピーが、
一線を、越える。
だったんですよ。
私は最初にこのコピーを見たとき、
意味が分かんない。
そう思いました。
でも、ついに映画が公開され、
その意味が深く分かりました。
以下、ネタバレありで
映画『検察側の罪人』
を語っております。
一線を越える瞬間が、色濃く演出されているのが印象的だった。
『検察側の罪人』
タイトルと予告から、容易に想像出来てしまうだろう。
そう。
正義を貫いてるはずの検察(最上)が
己の正義を信じすぎた挙句、
罪人となってしまったのだ。
相手が極悪人だったとしても、
動機が復讐だったとしても、
殺人は、違法だ。
そんなことくらい、誰でも分かる。
それは正義ではない。
分かってる。
そんなこと、分かってる。
分かっているけど、分からない。
もし、
自分が、
己のストーリーの主人公になってしまっていたら。
己のストーリーの監督になってしまっていたら。
自分の信念から作り上げられた、偽りの正義。
想いが強いと、強いだけ、自分を客観視することは難しくなるだろう。
自分が、どんどん
己の正義とかけ離れている人間になっていることに、全く気付いてないのだ。
大切なものを失っていっている音に
気付かない。
一線を、越える。
私は、意外と、みんな経験しているんではないかと思った。この映画を観て。
みんな、簡単に越えてしまっていて、
気付いていないのかもしれない。
まさに今、私は一線を越えそうになっている。気がする。んだ。
そして、過去にも幾度となく、越えてきた。
そして、、、苦しんだ。
自分が正しいと思っていることに突き進む。
でも、それは同時に誰かを傷つけている。
私にとっての正義が、
他の誰かにとっては、正義ではないのかもしれない。
100%の正義なんて、
そんなもん、存在しない。
みんな
自分にとっての正義が1番大切で、
それはきっと、他者にとっても正義だと勘違いしていて、押し付けて、知らぬ知らぬに取り替えしのつかないことになっている。
僕らの周りに存在する
一線
は、ナチュラルに、
あちらこちらに潜んでいる。
そして、僕らは、
その線を、意図も簡単に越えるんだ。
越えていることにも気付かない。
誰かを傷つけていることに、気付かない。
世の中、100%の正義なんてないんだから。
他人に自分の正義を押し付けることも、
自分の正義に固執することも、
ナンセンスだと思う。
大切なのは、自分の正義を認めてくれて、
自分の正義を“正義”のままに管理してくれる他者の存在。
感謝するべき身近な他者がいること。
この映画は、
「2人の正義の“対立”」と見所としてされているかもしれないが、
私はそうは思わなかった。
自分の正義を支えてくれる人がいなかった
哀れな最上と
自分の正義を支えてくれる人がいた
沖野
という2種類の人間の対比だったと思う。
では、
貴方はどちら側の人間ですか?
そう、聞かれてる気がした。
自分が在りたい自分であるためにはどうしたらいいのか?
自分の正義を守るためにはどうしたらいいのか?
この映画を観て、ぜひ考えてみてほしい。
人間は、簡単に変化する。
人間の脆さが詰まってる、この映画には。
きょう、2回目観てきたけど、
やっぱり、重いわぁ。
余裕がある人は、
湿り気のある、男性のズルさと、
覇気のある、女性の凛々しさに注目して観ると楽しいかもしれないです。
男って、ほんとクズ。
0コメント