【あや】私は私のまま、私らしく生きることにする。
いつぶりのブログよ。
書いたいことがなかったわけではなく。
むしろ書きたいことがいっぱいあったはずなのに、なんでか書いてなかった最近。
なぜだから知らんけど、
書けなかったのだから仕方がない。
ただ、今日。
とくに何があったわけではないのだけれど、
突然書きたいと思ったから、
前から書きたかったことを今から書くことにする。
昔っからコンプレックスがあった。
それは、私は少々変わっているということだ。
うーん。
変わってるというか、
自分の思考がすこし冷たいように感じることがよくあった。
昔っから、なんとなく大人びていて、
割と空気も読めるし、
周りの人からしっかり者だねと言われたり、
何考えてるかわかんないって言われたり、
でも、それが褒め言葉のように感じたり、感じなかったり、
一直線では描けない。
自分の複雑でめんどくさいこの性格が
好きでもあり、嫌いでもあった。
去年の暮れに、自分の冷ややかな生き方を変えていったほうがいいのではないか?
という根拠のなき考えから少しずつ変化を見せるようになっていった最近の自分。
泣けるほど、
物事に全力になるべきなのではないか。
浸かるほど、
誰かを好きになるべきなのではないか。
綺麗なほど、
相手の気持ちを受け入れるべきではないか。
いつしか、
〇〇やりたい!!
という気持ちではなくて、
〇〇した方がいいのではないか?
“普通”なら〇〇するんじゃないか?
と、定義があやふやな“普通”に縛られて生きてしまうようになっていってた。
といいつつ、私の基本性質は“普通”だ。
心配性な部分があるから、ベースは固めて、その上で盛大に冒険するのが自分が1番生きやすい在り方だった。
だから、常にセーフティーネットを置いてる感覚。
それが自分の良さでもあり、コンプレックスに感じる部分でもあった。
自分にはずーと憧れがあった、
他人は他人、自分は自分。
そうやって本気で思ってはいるけれど、
他人の姿が羨ましいなと憧れることもあった。
自分に足りないものがはっきりとわかっていて、それを補いたくて仕方なくて、
そうやって、少しずつ、、
私は私の在り方を変えていってしまった。
どんどん自分が、
憧れてた自分になっていって
どんどん自分が、
嫌いな自分になっていって
こんなん自分じゃない
って、肌で感じでいても、止められなくて
ずっとずっと苦しかった。
どうして私は、
得体の知れない“普通”という呪縛に飲み込まれていったんだろう。
周りの人にとっての“当たり前”は、
私の中の“当たり前”でなくて、
私にとっての“当たり前”は、
周りの人にとっての“当たり前”じゃなくて、
私の考え方は、きっと多くの人には共感してもらえないかもしれないし、
私の在り方は、世間的に評価されるものではないかもしれない。
でも、私の周りにいてくれる人は
こんな私のことを認めてくれる人たちなわけで。
そんな私を私が否定してしまったら、
私のことを認めてくれてた人たちを否定してしまうことになるのだから、
私は私らしく、私のまま、生きることにする。
私の人生は、私の人生だし。
私の生き方は、私の生き方だ。
私の性格は、私の性格だし、
私の価値観は、私の価値観だ。
この世に正解なんてないし、
幸せの在り方に決まりがあるわけじゃない。
ただ、幸せな道があるとしたら、
私が納得して、毎日歩んでいけることだと思う。
明日死んでも後悔しない。
いつ死んでもいいやって。
そんな毎日をまた送れるように。
この21年、無くしたものなんて何もなかったのだ。
取り戻すべきものなんて、何もなかったのだ。
この21年が形成した、私という人間をどう強く生きるか。
それが自分っぽいなって。
強くて、カッコいい。
そして、脆い私でしょ?
とりとめのない文章だけど、
それが私だから仕方がない。
他人に私の全部なんて、わからないし、
わかってもらおうなんて思わない。
だって、私が1番私をわからないからね。
ただ、私は誰に何を言われようと、
自分の人生を私らしく生きます。
そのまんまでいいもん。
こうやって、派手な服着て、
アメリカンチェリーと同じカラーのリップつけて、
おっきなイヤリングして、
調子乗ってるの1番私らしくて好きだな〜!!
はやくドレスドのシャツも着たいなぁ〜❤︎
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